天然素材メンバーの現在と確執の真相|結成35年目の光と影を総括
1990年代前半、日本中のお笑いファンと女子中高生を熱狂の渦に巻き込んだ伝説のユニット「吉本印天然素材(通称・天素)」。吉本興業の若手芸人たちが本格的なダンスとコントを融合させ、アイドル並みの黄色い歓声を浴びたこのムーブメントは、後のお笑いブームの礎を築いた一方で、メンバー間に激しい葛藤と格差を生み出す契機ともなりました。
結成から約35年が経過した現在、ナインティナインや宮川大輔氏をはじめ、当時のメンバーは日本のお笑い界・エンタメ界を牽引する重鎮へと成長を遂げています。本稿では、当時の関係者証言や過去のドキュメンタリー記録、自著の手記などを再検証し、当時の熱狂の裏で起きていた「ナイナイ脱退の真相」「解散の理由」「メンバー間の確執と和解の軌跡」、そして各メンバーの現在の到達点を徹底解説します。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:1991年に結成された「吉本印天然素材」は、ダンスとお笑いを融合させて社会現象を巻き起こすも、アイドル的人気と芸人としての矜持の狭間でメンバー間に深い葛藤が存在した。
- 要点2:ナインティナインの電撃脱退は「芸人として純粋にネタで勝負したい」という強い危機感が動機であり、その後の爆発的ブレイクが先輩・後輩間の複雑な格差と確執を生む要因となった。
- 要点3:1999年の解散、雨上がり決死隊の解散など波乱の歴史を経つつも、培われたチームワークと葛藤の歴史は『アメトーーク!』等での再評価を経て、現在のお笑い界におけるかけがえのない財産となっている。
【結成の原点】なぜ芸人が踊ったのか?夏まゆみ氏の指導と熱狂のダンスブーム
吉本印天然素材が誕生したのは1991年9月。当時、東京進出を狙っていた吉本興業が、大阪・心斎橋筋2丁目劇場などで頭角を現していた若手芸人を集め、日本テレビの深夜番組と連動して立ち上げたプロジェクトでした。初期メンバーに選ばれたのは、雨上がり決死隊、ナインティナイン、FUJIWARA、バッファロー吾郎、チュパチャップス、へびいちごの6組12名です。
このユニット最大の特徴であり、後の運命を大きく左右したのが「本格的なダンスパフォーマンス」でした。振付を担当したのは、後にモーニング娘。やAKB48を国民的アイドルへと育て上げる稀代の振付師・夏まゆみ氏です。ダンス経験が皆無だった若手芸人たちは、連日深夜に及ぶ過酷なレッスンを強いられ、基礎ステップからフォーメーションダンスまで徹底的に叩き込まれました。
当初は戸惑いを隠せなかったメンバーたちでしたが、CDデビューや写真集の発売、さらには日本武道館での単独ライブを満員にするほどの爆発的な人気を獲得します。劇場前には徹夜組のファンが押し寄せ、ネタを披露する舞台でアイドルのような大歓声が響き渡る異様な光景が日常化していきました。
しかし、この熱狂こそが「自分たちは芸人なのか、それともアイドルなのか」という、芸人としてのアイデンティティクライシス(自己同一性の喪失)を各メンバーの心に深く植え付けることになります。

【歴代メンバー一覧】全6組12名の軌跡と現在の活動データ比較
天然素材を構成した6組12名は、その後それぞれ異なる道を歩み、お笑い史に名を刻んできました。当時の立ち位置から現在に至るまでの変遷を比較検証します。
| コンビ名/メンバー | 天素当時の立ち位置 | グループ後の主な転機 | 現在の活動状況 |
|---|---|---|---|
| ナインティナイン (岡村隆史・矢部浩之) | 最年少・センターポジション 運動神経と華で圧倒的人気 | 1994年にユニットを単独脱退 『めちゃイケ』『ぐるナイ』冠番組多数 | 日本を代表するトップMC 『オールナイトニッポン』等で活躍継続 |
| 雨上がり決死隊 (宮迫博之・蛍原徹) | グループの絶対的リーダー 進行役・メインMCを担当 | 東京進出後の大ブレイク 『アメトーーク!』で一時代を築く | 2021年にコンビ解散 蛍原はMC業、宮迫は実業・舞台中心に活動 |
| FUJIWARA (藤本敏史・原西孝幸) | ムードメーカー・賑やかし ダンス技術の高さで牽引 | 関西へ一時帰還後、雛壇芸人として再ブレイク ギャグとガヤでお笑い界に定着 | バラエティ番組の常連として安定活躍 原西は一発ギャグ・SNS展開も好調 |
| チュパチャップス (宮川大輔・星田英利) | 若手枠・実力派コント 身体能力を活かしたダンス | 1999年にコンビ解散 星田のR-1優勝、宮川の『イッテQ』抜擢 | 宮川は大御所タレントとして国民的人気 星田は俳優・作家として実力派の地位を確立 |
| バッファロー吾郎 (木村明浩・竹若元博) | シュール系コントの職人肌 グループのサブリーダー格 | 2008年『キングオブコント』初代王者 大喜利イベント『ダイナマイト関西』主催 | 劇場・舞台を中心にカルト的人気 竹若はDIYや舞台、木村は舞台・客演で活動 |
| へびいちご (島川学・高橋智) | 正統派しゃべくり漫才 素朴なキャラクターで親しまれる | 天素解散後、関西演芸界に活動拠点を完全移行 吉本本流の劇場番として定着 | なんばグランド花月(NGK)等の舞台で活躍 関西演芸界のいぶし銀として堅実な評価 |
ナイナイ脱退の真相とメンバー間の「格差・不仲説」を徹底検証
天然素材の歴史において最大のターニングポイントとなったのが、1994年のナインティナインによる単独脱退劇でした。
「僕らは踊るために吉本に入ったんじゃない」岡村隆史の決断
当時、最年少でありながらトップの人気を誇っていたナインティナイン。しかし、本業であるネタ作りや漫才をおろそかにしてダンスの練習に明け暮れる日々に、岡村隆史氏と矢部浩之氏は強い焦燥感を募らせていました。
岡村氏は後年の回顧録やインタビューで、「劇場で客席から『キャー』と黄色い声援が飛ぶたび、お笑い芸人としてスベっているような恐怖を感じていた」「このまま踊り続けていたら、一生本物の芸人にはなれないと思った」と当時の胸中を赤裸々に明かしています。フジテレビ系『とぶくすり』への抜擢など単独での仕事が増加していたことも重なり、ナイナイは周囲の反対を押し切る形でグループからの離脱を申し出ました。
引き裂かれた人間関係と長年にわたるFUJIWARAとの確執
この脱退劇は、残されたメンバーたちに大きな衝撃と亀裂をもたらしました。特に激しい葛藤を抱えたのが、NSC(吉本総合芸能学院)でナイナイの1期先輩にあたるFUJIWARAの藤本敏史氏でした。
「後輩のナイナイが先に抜け、東京でスターダムを駆け上がっていく姿を見るのがたまらなく悔しかった」「顔を合わせるのも嫌だった」と藤本氏が後に語った通り、現場では目も合わせない冷戦状態が長年続きました。先輩である雨上がり決死隊やFUJIWARAを差し置いて、脱退したナインティナインが全国ネットの冠番組を次々と成功させていく構図は、メンバー間に深刻な知名度・収入の格差を生み、一時は修復不可能な「不仲説」としてメディアを賑わせることになります。

【実態検証】解散の真相と「雨上がり」「チュパチャップス」が辿った分岐点
ナインティナインの脱退後、リーダーであった雨上がり決死隊も東京での単独活動に注力するためグループを離脱。屋台骨を失った天然素材は求心力を失い、1999年に正式解散を迎えることとなりました。
雨上がり決死隊の栄光と、2021年の解散劇
天素解散後、最も劇的なカムバックを果たしたのが雨上がり決死隊でした。一時は仕事が激減し「どん底」を経験したものの、2003年にスタートした『雨上がり決死隊のトーク番組 アメトーーク!』(テレビ朝日系)が大ヒット。テレビ界の頂点に君臨しました。
しかし、2019年に発覚した闇営業問題を端緒としてコンビ関係は急変。最終的に2021年8月17日の配信番組をもって正式にコンビ解散を発表しました。現在、蛍原徹氏は地上波のMCとして確固たる地位を維持し、宮迫博之氏は飲食プロデュースやYouTube、舞台演劇の世界で独自の道を歩んでいます。
チュパチャップスの解散と、宮川大輔・星田英利の開花
天素解散と同じ1999年、コンビとしての幕を下ろしたのがチュパチャップスでした。将来への不安とネタ作りの方向性の違いから解散を選択した2人でしたが、皮肉にもピン芸人への転身が双方の才能を開花させる結果となります。
宮川大輔氏は『世界の果てまでイッテQ!』(日本テレビ系)での「お祭り男」として国民的人気を獲得し、ロケタレントの最高峰に上り詰めました。一方、星田英利(ほっしゃん。)氏は2005年の『R-1ぐらんぷり』で優勝を果たし、その後は卓越した表現力を活かして名バイプレイヤーとして数多くのNHK連続テレビ小説や映画に出演しています。
一般に知られていない盲点とネットの誤解|「黒歴史」から「お笑い史の金字塔」へ
インターネット上やファンの間では長年、「天然素材はメンバーにとって触れてはならない黒歴史だったのではないか」と語られることがありました。しかし、この言説には明確な誤解が含まれています。
確かに2000年代初頭、個々のメンバーがピンやコンビとして自立しようともがいていた時期には、天素時代の話題が避けられる傾向にありました。しかし、彼らが円熟期を迎えた2010年代以降、『アメトーーク!』で企画された「吉本印天然素材同窓会」などを通じて、当時の過酷なダンスレッスンや若気の至りによる確執が極上のエピソードトークとして昇華されたのです。
岡村隆史氏と藤本敏史氏が番組内で過去の嫉妬と怒りを笑いに変えて抱き合い、へびいちごの2人が変わらぬ愚直さで笑いを取る姿は、単なる懐古趣味を超え、「かつて同じ釜の飯を食った戦友たちの絆」として視聴者に大きな感動を与えました。
【プロの結論】集団アイドル化とクリエイターの心理的葛藤に見る教訓
吉本印天然素材の栄枯盛衰は、現代のタレントマネジメントや組織論、さらには個人のキャリア形成においても極めて重要な示唆を与えています。
1. 「短期的な市場価値」と「本質的なコアスキル」の不一致
天然素材は「アイドル的人気」という強力な武器で一世を風靡しましたが、芸人としてのコアスキルである「笑い」を磨く時間を奪う副作用をもたらしました。ナインティナインの早期脱退は、目先の熱狂に流されず、自分たちの本質的な強み(トーク・コント力)にリソースを全集中させた卓越したキャリア戦略であったと評価できます。
2. 組織のピラミッド崩壊と格差の受容プロセス
同期や後輩が先に成功した際、FUJIWARAやバッファロー吾郎が直面した激しい嫉妬と劣等感は、心理学における「社会的比較理論」の典型例です。しかし、彼らは他者の成功を妬む段階を脱し、自らの足元(泥臭いガヤ、職人芸的な大喜利、地域に根差した漫才)を再構築したことで、最終的に息の長い独自のポジションを確立しました。

【天然素材 メンバー】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:吉本印天然素材の脱退順や解散の時期はいつですか?
A1:1994年秋にナインティナインが単独で脱退したのを皮切りに、雨上がり決死隊も東京進出と単独活動のためグループを離脱しました。その後、残されたメンバーで活動を継続しましたが、1999年に大阪・なんばグランド花月で行われたイベントをもって正式に解散しました。
Q2:ナインティナインと他のメンバーの不仲は現在も続いていますか?
A2:現在は完全に解消されています。2010年代以降、『アメトーーク!』や『めちゃ×イケてるッ!』などの特番で共演を重ね、当時の嫉妬や確執はバラエティ番組における定番の鉄板ネタとして笑いに昇華されています。現在では互いの冠番組にゲスト出演するなど良好な関係が続いています。
Q3:なぜ芸人なのに過酷なダンスを踊らされていたのですか?
A3:当時台頭していたジャニーズ事務所の男性アイドルに対抗し、「踊れて笑いも取れる新しい男性エンタメ集団」を作るという吉本興業と日本テレビのプロデューサー陣の戦略によるものでした。振付師の夏まゆみ氏によるプロ同等の厳しい指導のもと、アイドルのフォーマットを取り入れたことが当時の社会現象につながりました。
まとめ:平成カルチャーが生んだ奇跡とそれぞれの到達点
吉本印天然素材は、単なる「若手芸人のアイドル化ブーム」にとどまらず、平成のお笑い界にパラダイムシフトをもたらした実験的な一大プロジェクトでした。
ダンスに葛藤し、人気の急上昇と格差に傷つき、衝突を繰り返しながらも各自が芸の道を諦めなかったからこそ、現在のナインティナインの司会術があり、FUJIWARAの泥臭い対応力があり、宮川大輔氏の圧倒的な瞬発力が存在します。波乱万丈の歴史を乗り越えて円熟味を増したメンバーたちの歩みは、日本のバラエティ史における眩い光と影のドラマとして、これからも語り継がれていくはずです。 (出典: 天然素材 メンバー(Yahoo!ニュース))